臨死体験を経験して:2回目の死にかけて変わったこと
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◆2回目の死にかけたこと
前回の、1度目の「死にかけて気づいたこと」のブログが大反響でびっくりしました。
たくさんのメッセージをありがとうございます。
今回は、2度目の死にかけたお話をしようかと思います。
今までのブログ経過はこちら↓ |
◆2度目は、時間との勝負の生死の分かれ目に
私は、2回「死」を感じた経験があります。
2度目の経験は、3回目の出産時のことです。
これは1分でも遅かったら、間に合ってなかったら、
死んでいたかもしれない、
あるいは生き延びていたとしても重度の後遺症が残っていたかもしれない、という、
時間との勝負の生死の分かれ目の経験でした。
今回はその経験について、お話ししようと思います。
なぜそうなったのかの原因を言うと、
私は体質的に血が止まりにくい体質だったのです。
ですが、そんなことはその時まで知らず!(日常生活では差し障りのない程度だったので、人間ドックでもひっからず、この日まで知らなかったのです。)
※これはとても特異体質なので、これから出産を控えている方は不安にならないで大丈夫です。私のこの時まで気がつかなかった特異体質の話です^^
3回目の出産直後のお話です。
出産自体は、とても安産で、赤ちゃんは元気に生まれてきました。
(これは身体コントロールを仕事にしてるくらいなので、呼吸法はとても上手いみたいで、3回の出産とも、助産師さんも大絶賛の安産でした^^)
赤ちゃんも元気で、私も元気。周りも安心してとても平和な時間でした。
「生死の分かれ目」体験は、その後の、自分の母体の話。
出産後、30分後あたりから急速に変化していきます。
産後の止血が、胎盤が下の方についていたばっかりに遅くなり、
かつ止まりにくい体質だったため、(その時まで知らなかった)
という複合的な原因が重なり、
血が子宮に溜まっていて、気持ち悪さに一気に吐いてしまったのです。
そのときに、腹圧で一気に傷口が開いてしまい、大量の出血をしてしまったのです。
そこからがもう大変で、急に血が止まらなくなり、死にどんどんと迫る容態になってしまったのです。
普通の体質の方なら、ここでなんとか止まるのですが、私は大量に出てししまうと、止まりにくい体質だったのです。
みんなが想像しない状態に一瞬して変わり、まさに、交通事故と同じ現象になってしまいました。
でも、そこからが神が降りてきたかのような現象が、次々に起こります。
救急車で、集中治療室のある墨東病院に搬送されるのですが、いつも混んでるはずの道路がその時は混んでなくて、40分かかるところが20分でつきました。
後で、救命士さんから、
「あんなに道路が混んでない日は滅多にない!飛ばして行けて、本当によかった。」
と何度も言われました。
途中の救急車で、私の意識は無くなっていき、集中治療室で、幽体離脱をしました。
ちょっと上から、一心に私を助けてくれようとしている、看護婦さんとドクター達をみている、
と言う経験を20分ほどしてました。
その時、この上もなく気持ちいい光に包まれて、前から風が吹いていて、もう光の世界に吸い込まれたくなっていました。
いわゆる、幽体離脱です。
魂が抜けかけていたのだと思います。
◆魂が抜けかける経験から
魂が抜けかけ上から見てるその時、看護婦さんとドクターに何度も呼ばれ、集中治療室でのドクターたちの会話も鮮明に覚えているのですが、あれは夢でないことは確かです。
夢はすぐに忘れてしまいますが、私のその経験は会話も状況も全て鮮明に覚えていますから。
しかも目線もちょっと上から見てる角度でした。
そこで皆んなに呼ばれて、目が覚めた時は現実に戻ってきました。
横で主人が真っ青な顔で泣き崩れていました。
生き返ってよかったですーーーー。
このまま死んでたら、主人は生まれたての赤ちゃんを含め、3人の子供がいるシングルパパになっていたのですから。
想像すると、ゾッとしますね。(これから出産を控えている方は不安にならないで大丈夫ですよ!何度も言いますが、これは本当に私の特異体質とその時の複合的な要因が重なった、稀な例です。)
最終的に、私は、トータル4リットル以上もの輸血をいただくことで、生き返ることができたのです。
そんなにたくさんの輸血がある病院は、他には滅多にありません。
たくさんの善意ある皆さんからの輸血、
ドクターや看護婦さん救急救命士のみなさま、
そして、日本の医療に、
たくさんの力あって、
私の命は助けられました。
本当に自分の命の助けてもらった重さを想い、
恩返しを社会にしたい!
次へのバトンを繋いでいきたい!
そうじゃないと死に切れないな、
と思っています。
目先の大切さは、3人の子供達をちゃんと育てること
そしてその後は、日本の医療に社会に恩返しがしたいと思っています。
後から、事後経過の診察の時に、ドクターから聞いたことなのですが、
・4リットル以上輸血して正常に助かった例が、墨東病院で他にいないこと
・助かったとしても、副作用で肺に水が溜まるか、脳への酸素不足で手足が動かないなどの症状が残ることがほとんどであること
・それなのに、この輸血量を入れても副作用もなく、普通に歩けているのが信じらてないこと(輸血後、しばらく歩けない方も多い)
・救急車もいつもは40分かかる道路が、珍しく渋滞してなくて20分で行けた奇跡
・輸血は常に日本に足りない現状であること
などを言われて、もう「生きている」ことが奇跡でしかなく、
目に見えない力が働き、神様に生かされた、としか考えられなくて、
命をいただた体としか考えられない経験だったのです。
目が覚めた時は、色んな科のドクターと看護婦さんが見に来て、
「よかったねー!」と泣いて握手をしてくれた方もいました。
「なんでこんなに喜んでくれるの?」と当の私はキョトンしてましたが、
墨東病院でも前例がないくらいの珍しい生還体験だったようです。
墨東病院は東京都で一番の救急病院なので、ここで「前例がない」なら、
日本全国でもあまりないんじゃないかと、
ドクターもそうおっしゃっていたくらいの、生還事例だったようです。
ドクターからは、何度も「あなたの生きる力が生還させたんですよ」と何度も言われたのですが、
自分では生還しようなんて考えてる暇はなく、とにかく与えたれた感覚しかありません。
そこから私の命は、生かされた命、
何か見えない力でいただいた命なので、
もう3人の子供を育てたら、
あとのエネルギーは社会に恩返しをしたい!!と、
それが私の生かされた使命と思って、今に至ります。
◆魂は死なない
その経験から、目に見えない魂は必ずある、と知りました。
現在の科学力では解明できませんが、
肉体とは離れて、魂は存在しているのです。
私たちが死後に行く場所、一般的に言えば「あの世」と呼べるようなものも、
目に見えないものなので、価値をおかない信じない方もいますが、
それでも少しずつでも死後に行く場所に、心を向ける機会があれば、
この、生まれてから死ぬまでの年月が愛しく感じられるのではないかと思うのです。
わたしは臨死体験をしているとき、
「自分の人生は幸せだった。主人と結婚してよかったな」
と考えていました。
「死」を目の前にすると、本心の自分が残るんでしょうね。。
(日頃、現実は、口喧嘩も多いですが笑。なかなか素直にはなれませんw)
私は、この臨死体験から、
死はいつも生と隣り合わせである
んだという、この自分の経験から、
今の時間を大切に生きたい!
幸せは日常に、たくさんあるんだ!と、
見つけて生きるようになりました。
そこから、お目に見えない意識や魂の学びを始めてていきました。
◆日本人にとって神社は、
日本人にとって、もともと神社はそのような目に見えない世界とつないでくれる存在だったのだと思います。
それを感じ取る力がもともとは、日本人は強かったのではないでしょうか。
この臨死体験の後、私も神社で手を合わすようになりました。
そうすると、日々の感謝の気持ちが増えて、「今を生きる」に、心がリセットできる様になりました。(もちろんまだまだ未熟ですが!!)
長くなりました。今日はこれまで^^
10月30日20:00-
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今日もお読みいただきありがとうございました。